2021年8月ブログ ブログ

2021年8月14日 写真が撮りたくて仕方がない

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今日もお盆休みで会社は休み。相変わらず生活リズムは崩したくないから起床時刻は朝の5時である。いつもと同じようなルーティンで、手帳の整備をしてスマホゲームの巡回をして、リセマラしてもタモツだった件を書き進める。こう書くと、本当に常に小説を書いているようなイメージを持つかもしれないが、少し書いては集中力が切れ、kindleストアを巡回したり、スマホゲームをやったり、テレビを見たりと行動する内容は目まぐるしく変わるのだが、上記のいずれかしかやらないから、同じことを順繰りしているだけ。なんか哀しくなってきた。先日にロー土バイクでロングライドをして撮影したのと過去に撮った写真作品集1998年の本(仮)の構成やら内容を少し固めていくと、やっぱり他にも掲載しておきたい場所の写真が複数箇所思い出してきて、やっぱりもう一回、同じようなルートを走る必要性が出てきた。可能であれば1泊して夜間の写真も撮りたいところだけど、どこかに宿泊なんかしたら間違いなくコロナに感染してしまうだろうし、車中泊という手もあるが警察の職質を受けまくる気がしてならない。なので、無難な時間にもう一回写真を撮りに行ってから作品を完成させる決意をした。もう一冊何かしらの写真作品集のネタはいくつか上がっているのだが、どれにするかもまだ決められていない。なんだか決断力が無くなってきたのか自信が無くなってきたのか。今日もどちらにしても1日雨だし、外に出られたものじゃないから主にリセマラしてもタモツだった件を書き進める。いつまで書いているんですかね?と思われるくらい、この本を執筆している事を記しているが、なかなか書き終えない。困ったものだ。

とはいえ、今日の段階で第7章を書き終え、第7章は約6万文字で終息することができた。本来は第9章まで内容を別けて考えていたが、この流れであれば次の第8章で終わらせても問題はないと判断した。1章分減らしたのではなく合体させた感じ。章を区切らないと変な感じになっちゃうかと思っていたんだけど、そんな事もなさそうだし、次の章で完結だと思うと、テンションもやや高くなる。全体の文字数は集計していないけど、ストーリーとしての進捗は約93%まで進んだ。文字数は大まかだけど、恐らくは約18万文字くらい。残りの章で3万文字は書くだろうから、計画通りの文字数で無事、着陸できる予定となる。物語的にも大幅に変更を加えたところもなく、全て当初の計画通りにストーリーを進めることができたようだ。

少し前に書いた気がするが、Leica M3をたまに持ち歩く事はあるのだが、全くシャッターを押せない日々が続いており、最後にフィルムを入れたのが4月の後半。約4ヶ月経過して、巻き上げたフィルムは14枚。全くといっていいほど、M3でシャッターが切れていないのである。これはフィルムだから無駄撃ちしちゃダメだという思考が働いているのか、M3なら「オイの一撃に懸ける!」という一撃に全ての力を使う精神論なのか、測光するのも面倒だと思っているのかは自分ではわからないが、とにかくシャッターが押せていないわりには、M3で何かを撮影したくて仕方がない状態。普段、行動している範囲の写真は撮り尽くした感があるが、それでもGRⅢでは偶然を装った写真を撮ることができており、どちらかというと同じ景色だけど2度は撮れない写真というのが多く、じっくりとカメラを構えて写真を撮るという行為ができていない。これもGRⅢに慣れてしまい、一瞬で写真を撮る楽さにハマってしまったのもフィルムカメラで撮影できなくなった要因のひとつかもしれない。

意外ではないかもしれないが、X-Pro3やGRⅢでは気軽にシャッターを切ることができる。自宅にはズームレンズやオートフォーカスレンズというものが無いからX-Pro3も単焦点のマニュアルレンズで撮影しているんだけど、これだけ考えるとLeicaのカメラと条件は、ほぼほぼ一緒である。にも関わらず、Leica M-DやM3を持っている時は、手軽に撮影ができないのである。これもLeicaの持つ魔力なのかはわからない。きっと「この世に幽霊は存在する!」というオカルトを信じる・信じないと同じレベルの精神論であり、Leicaのシャッターを気軽に押せる・押せないの都市伝説的な、「この妖刀ムラサメを手にした者は、血に餓え、自分の意思とは無関係に人を斬り続けることになる」というような内容や、「この悪魔のZを所持したものは必ず死ぬ」みたいな、事故死意外に死ぬとか言わないでくださいよ!と突っ込みをいれたくなるような、そんな逸話と同じレベルなのだろう。人によってはLeicaのM型カメラでもパシパシと気軽にシャッターを切れる者もいるだろう。と、なると私がLeicaに何か期待をしているのか、もしくはLeicaで撮影した写真は全てが素晴らしくなくてはいけないという幻想を守り続けようとしているのかもしれない。

まさかLeicaを使って駄作を撮るなんてことはないよな?と自分で自分を脅し、そして手振れ写真を量産するという落ち。なんかね、シャッター押す時に、カメラのボディが動くんだよね。マジで!今まで、どれだけ手振れ補正の恩恵を受けまくっていたかという事ですよ!こんな事を私が書くのも何だけど、手ぶれ補正があってオートフォーカスでAE機能がついてるって、ホント便利で楽である。写真も綺麗に撮れるし、時代に逆行してLeicaを使い続けるのは、道楽という言葉意外思い浮かばない感じ。エヴィスジーンズの尻ポケットに道楽と書かれたジーンズを穿いて、Leica M3で撮影してみたいものである。その時はM3に35mmの外部ファインダーをつけて、サンハンズマロンを装着すると、なお道楽具合が強調される。バルナックライカでもいいだろう。

仕事中に行った事もないような場所に行った時くらいしか、新鮮な写真が撮れる気がしないんだよね。GRⅢだと気軽にシャッターを切れるから、道端に落ちている葉っぱとか、錆び付いたガードレールとか、撮っても無駄に終わりそうだと思う写真はパシパシいける。って、これが答えのようだ。書いていて気付いたが、「撮っても無駄に終わりそう」。要するに、作品として候補にあがるくらいの構図というか被写体でないと、Leicaで撮る価値がないと思っている可能性が非常に高い。自分自身の事は、よくわからないけど、書いていて無意識に出た単語だから間違いないだろう。これを克服できるように、クソみたいな写真をLeicaで撮ってみようか。意味のない機械を見ると発狂しそうになる女神と同じような感じなのかもしれない。

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