2023年02月ブログ ブログ

2023年2月24日 エゴン・シーレ展へ行った日

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今日は金曜日で平日なので会社へ出社しなければいけない日である。

先日は祭日で休みで明日から土日で休みであり、本来であれば今日あたりに有給を入れて4連休をとる社員が必ずいると思っていたのだが、不思議と1人もいなかった。そういう気分ではないのだろうか?どちらにしても私は有給を取る気はないし、休みの間の日に遅刻をしてしまうと、どんだけやる気がないのだろうか?と自分でも思ってしまうから遅刻をしないように朝5時起床からの車通勤をした。

いつも通り、やや早く会社に到着をしてしまったが、手帳整理やらブログなんかを書いてスタートダッシュ作業をする。どうしてかというと、今日はエゴン・シーレ展へ行こうと決めており、朝の段階でやれる事は終わらせてしまい午後からゆっくりと美術館にでも行こうかなーという行動計画。

今日は珍しく営業やらお客さんから問い合わせや依頼案件も来なくて、本来やらなければいけない仕事でも着手をしなければいけないのであるが、先週の窓際社員にそんなに仕事を押し付けるのかよ?という毎年2月は仕方がないといえば仕方がないのだが、先週あまりにも忙しかった貸しを返してもらうために本来やらなければいけない仕事を後回しにすることにしたのだが、どうも暇だ。しかも目の前の席では付き合っている社員がイチャイチャしていてウザったいし。創作活動や仕事でも熱心にやっていると全く気にならないのだが、あまりにもやることがなくて視界に入り気分を害したから、予定は全くないがとりあえず喫茶店にでも行って、迷惑をかけすぎた超変態を執筆しに行くことにして席を立った。

私一人が消えていても誰も気付かないし、誰も用はないみたいだし、私自信もやることがないという事で喫茶店で執筆作業をして、昼になったらランチでも食べながら執筆をして、午後になったら美術館に散歩も兼ねて移動するという素晴らしい行動計画をたてた。まだ午前中で昼前でもないのに、喫茶店はそこそこ混んでいたけど、席の選択肢はいくつかあって創作作業をしやすい席を確保することができた。

東京都美術館で鑑賞予定であり、本日はエゴン・シーレという、スペイン風に感染してしまい28歳という若い年齢で死去された芸術家の作品を観に行くことにしたのだが、作品も知らなければ、エゴン・シーレも知らない状態で行くという強者。ここ最近、水彩画に興味を持ちはじめて、人の服のラインをどうしているのかとか、黒でもどんな感じで黒を塗り分けているのかとか、そんなところで参考になればなぁという気持ち。前売りも購入していないから当日券を購入する事になるのだが、平日だしそんなに混んでもいないだろうという、やや楽観的な気持ちで向かった。

エゴン・シーレはクリムトの影響を受けたという事がホームページに書かれていて、3年半前のクリムト展が東京都美術館で開催されていた時にも観に行った縁からも、水彩画の参考になるかもしれないという事と暇だという事と色々な作品を見てみたいという事から美術館に行く気になったのである。

これもホームページの事前情報で知っていたが、シーレの作品は60点くらいしかなくて、影響を受けたクリムトの作品やら他にも影響を受けた人の作品やら、シーレの仲間が描いた作品やらを集めて130点くらいの展覧になる事を知っていて、こんな書き方すると怒る人もいるだろうし、表現として間違ってはいるのだが正直に思ったことを書くと「パチスロのバラエティ台みたいだな」という印象。寄せ集めではないが、シーレに固執しないで色々な人の作品も同時に見れるからお得だなといった考え。個人的な感想だが。パチスロ屋のバラエティ台に座るものほどギャンブル高い遊びはないよな。誰も回してないからデータとれないし、設定甘い台があるとは考えにくいしな。でも、もう撤去されて置いていない懐かしい台とか見ると、つい打ちたくなってしまっていたのだが、それは昔の物語でパチスロは10年以上打ってないからもういいよな。

シーレ展をかなり満喫することができ、入館したのが13時10分くらいで外に出たのが16時30分。かなりの時間をかけてじっくりと作品を鑑賞することができた。私は説明文を全て読み、1作品ずつじっくりと眺めて、ペイントの重ね具合やら白を表現するのに他にどんな色を薄く塗っているのかとか、作品全体を見渡して筆の塗り方向やら背景と人物の境界の部分だったりとか、様々な部分をマジマジと見てから次の作品に移るから、すごく時間がかかるのである。途中で集中力を使いすぎて気持ち悪くなるくらい。シーレの生い立ちやら人生の説明を見ながら絵を鑑賞するが、やはり芸術を目指す者が辿り着く、もしくは途中で遭遇するのは宗教や生や死であり、芸術を表現するにあたり必要不可欠なのか、必ず通る道なのかはわからないが、シーレも宗教と生と死について考え作品を描いていたみたい。

ここからは私がシーレの作品を見た感想を書くが、あくまで個人的な感想であり、私は作品を見てこう思ったという素直な気持ちを書いているだけであり、悪意があったりするわけではないのを最初に記しておこう。もちろん、年代によって作品の質というかテーマも変わってくるものであり、学生時代の作品はとても素晴らしく、これは確かにクリムトに才能を認められてもおかしくないと思った。風景画も一部描いていて一時期住んでいた町並みを書いた絵はちょっとな。描くジャンルで評価が変わるのは当然ではあるが、人物を描いた絵と比べるとちょっとあれな感じ。でも、歴史に名を残すような芸術家でも得手不得手があるものなのだなと実感。

シーレは自画像を描くのが好きらしく複数の自画像の絵やら女のヌードを描くのが好きだったらしく、特徴として人の顔がやたら白いんよな。もうね、小梅太夫とかクッキーとかを連想する白さ。そこに赤やオレンジ、青を使い肌の色を表現して、陰部の影は薄いグレーなんかを使って表現していて、赤やオレンジは白い肌に血液というか、血が通っているというか生きているという表現が伝わってこなくはないんだけど、なんだか人の肌が小汚なく見えてしまったな。私がグズのオッサンを執筆しているかのような、まるでホットドッグやアメリカンドッグのケチャップを食べこぼして肌についたような、ブリトー食べたら後ろからチーズが胸元に垂れて、そのまま放置しているような、パーキングで車のなかで居眠りをして、口許から胸元まで涎で汚れてしまったかのような、家無くて外に住んでんすか?と聞きたくなるような肌の汚さ。ものすごく不潔な印象を持つ肌の書き方なんだよな。それはそれでありなんだけど、ちょっと小汚ない印象。他の人の作品もじっくり鑑賞して、学校を中退して作ったクラブの人達が描いた作品(今で言うサークルみたいなものなのだろう)もあって、超絶色使いがうまくて立体的なリアルな作品もあれば、私でも描けそうな作品があったりして、しかも「なんだこれ?小学生が作ったのか?」と思ったワースト1の作品が、他の人の上手い作品の間に置かれていて、公開処刑かよ!とツッコミを危なく入れてしまうところだった。1911年くらいの年代なんだけど、シーレの写真も複数枚残っていて(葬儀の写真もあった)今の時代に撮影したの?と思うくらい解像度が高い写真だったな。何のカメラを使ったのかは書いていなかったけど、この時代の時からすでに高解像度での写真撮影ができていて、現代と何ら変わらないんだなぁという意見。

美術館を出てから18時まで、喫茶店で迷惑をかけすぎた超変態の執筆の続きをやりはじめて第2章を1万文字オーバーする事ができた。以前と同じようなプレイ内容になってしまっているが、ここから前作を越える変態プレイを発揮させていくスキルが必要となり、書き慣れている作品故に油断をするわけにはいかないのである。

今日、一番感慨深かったのは美術館で絵画でもイラストというか、ポップな絵に現代でも通用するような手書きフォントが使われている作品があり(シーレの作品ではない)むしろ現代よりもスタイリッシュなフォントだ!と思う作品が複数あり、参考にさせてもらおうかなと思ったくらい。お土産コーナーに、気に入ったフォントを使っている絵画のポストカードが売っていたから、つい買ってしまった。

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