今日は火曜日。
そして朝から陽射しが強く、とても暑い。
本来であれば先週からロードバイク通勤を復活させようかと思ったのだが、諸事情により先週は全く自転車に乗ることができなかったが、今日は外出予定もなければ会社の車を使う予定はない。
なので約1カ月ぶりにロードバイク通勤をしてみた。
やっぱね、チャリで切る風が気持ちよくて、チャリを漕いでいるだけで楽しいという、何か脳の構造がおかしいんすかね?と疑いたくなるくらい楽しい。
信号やら車の渋滞で停まるとクッソ暑いんだけどね。
で、久しぶりのロードバイク通勤なので、先月のように全力ライドはかまさずに、40km/h手前くらいの速度でセーブをして通勤してみた。
1カ月間、毎日のように車通勤をしてみて、渋滞はうれしくないが、その代わりに渋滞や信号待ちの時間を利用してウクレレやギターを弾いたり思い切り歌ったりして、それはそでれ楽しいのだなと思った。
チャリは楽しくて運動になるんだけど、ギターが弾けないのは少し残念な感じがした。
でも結局、夜に自室で弾いたりしたんだけど、久しぶりに楽器熱が戻ってきたのかもしれないな。
私は飽き性なので、時代は繰り返す的な感じでカメラ、文房具、楽器(作曲含む)、イラスト、創作活動、ゲームあたりのマイブームがグルグル回っていて、ある程度の期間を文房具熱で情報収集やら欲しいアイテムなんかを購入して使い倒しているうちに飽きてきてしまい、ずっと眠らせていたLeicaを取り出して写真を撮影することに力をいれ、文房具なんてまったく興味が無くなってしまうみたいな感じで、基本、同時に熱があがる事は稀であり、ひとつの事に集中して、集中した果ての末は飽きるという運命が待っている事が多い。
ファッションもそうだな。
常にファッションを気にしていないんだけど(大丈夫か?)何がスイッチになっているのかわからないが、1回スイッチが入るとファッション雑誌を読み漁ったり、服を購入したりし始める感じ。
で、また飽きて興味を失い、数年は放置するような流れ。
なので自転車も同じで乗る時は集中的に乗るんだけど、乗らない時は1年間乗らない時もあったな。
マウンテンバイクも購入した1年間はバカみたいに集中して乗り回していたけど2年目は乗らずに3年目で再び乗って、さらに熱が入り過ぎてハンドルを交換したり泥除けをつけたりと、物凄い手の入れようで、現在はたまに足替わりに乗っているがマウンテンバイクでロングライドをしようとか思っていない。
車の中に積みっぱなしのK3も最近は全く乗っていないし、輪行しようとも思わないし計画もなしである。
しかし、またふと何かしらのキッカケで熱が戻り、輪行の計画と旅行の計画を同時にたてるみたいな、そんな流れになるのではないだろうか?
熱しやすいが冷めやすいというギース・ハワードみたいな性格をしている。
いい感じに朝から汗だくになり、いつものように手帳整理からのブログ執筆を行い、以前から依頼を受けている会社のお客さんの仕事を今日終わらせる予定になっていたから、過去の自分との約束を守り、午前中に終わらせることができた。
新たに1案件、会社のお客さんからの依頼が入ったが、それは今日は片付けずに明後日に終わらせる予定でスケジュールをたて、受けた仕事はしっかり終わらせて、一番最悪なやり忘れを防止することができている。
これに関しては手帳のおかげであり、手帳がなかったら相当にヤバい事になっていそうな予感。
午後からはデジタルインビテーションの最終章を執筆して、相当に集中して書く事ができたのか、前日+11,797文字書き進めることができ、第6章を13,475文字で今日はエンド。
総計で150,526文字でエンディングに片足突っ込んだ感じ。
もう少し書くけど、着地文字数16万文字には少し足りなくなるな。
少し読みが甘かったっぽい。
16万文字を着地とすると進捗は95%となるが、内容からして98%くらい。
今回は、文章を書くにあたり言葉がスラスラ脳に浮かばずに考えながら強引にストーリーを進めた節もあるから、校正時には結構苦労しそう。
武器の名前を変えたりしたい箇所もあるし、文章が回りくどかったりする場面も思い当たり、感覚になってしまうが、校正を終わらせると1000文字くらいは少なくなるのではないだろうか?という予感。
明日にはデジタルインビテーションを書き上げて、今週から校正作業に入れるかな?といったスケジュール。
比較的、時間を持て余してはいるのだが、金曜日は再びTOBICHIへ行き、ほぼ日手帳を購入してスタンプを押してこなくてはいけないし、時間があるようで何気になかったりする。
ほぼ日にちなんで、今日は変なアイデアを出すことができた。
ダイエット本の内容も少しずつ固めていかないとなぁーと思い、どんな流れの本にしようかと考えた時に、令和の時代には相応しくないド根性論ダイエット内容にしようというのは以前から変わらないんだけど、ド根性論という本を書くのも悪くはないかもしれないなと思い始めた。
今の時代に相応しくないのを逆手に、むしろ新しいのでは?と逆転の発想、いやバカな発想をしてしまったが、まんざらでもないかと思いなおしてみた。
昭和のオッサンが語るド根性論。
すると、糸井重里氏の「おちつけ」の筆文字を思い出し、私も筆文字で「ド根性」と書いたものを商品化してみてはどうだろうか?おもしろそうじゃないかという発想で少しアイデアを出してみた。
ド根性に関してはホームページなんかで特集ページを作り、物語性を持たせることが必須。
私の口癖も「ド根性」にした方がいいのかな?と思うくらい、ド根性というキーワードを流行らせてみたくなってきた。
なので、ド根性キーホルダー、ド根性ピック、ド根性ステッカー、ド根性Tシャツ。
自分の気持ちに負けそうなとき、もうひと踏ん張りしたいとき、勇気をもって行動したいとき、そんな時に私が書いた「ド根性」を見て、気合を入れなおしていただければな・・・という気持ちで書こうと思っている。
それには、「ド根性」に関してストーリー性を持たせる必要があり、むしろ、この「ド根性」という言葉だけで、今後の人生に大きな良い意味での変化をもたらせるキッカケ作りになってくれるんじゃないかと本気で思っているんだけど、ド根性を経験した人じゃないとド根性が伝わらない可能性もあり、その辺り難しいなと思う今日この頃。