今日は土曜日だから会社は休みである。
生活リズムを崩さないスタイルの私は相変わらず朝5時起床からの、起きて間もなく3分プランクを行う。
これは超絶に変態技であり、起きた直後に3分間のプランクをやろうなんて思うバカは、そうはいないはずである。
しかし、現在の腹筋の状態やらカロリー消費のためには必要な行動なのでやっている。
「少し腹をへこましたいんだよー」「最近、運動してなくてヤバいと思ってるんだよ」「痩せたい!」と言っている世間一般的な常識人の人に、このアドバイスをしても、誰一人実行に移さないという究極の運動なのかもしれないな。
起きた直後に3分間のプランク。
ちなみに夜食後と就寝前にも3分プランクを1回ずつ行い、1日に3分プランクを計3回行うのが私流。
だって、同じポーズを3分間続けているだけで腹が引き締まるのだ。
非常に簡単だし、複雑な動きをしたり道具が必要だったり着替える必要もなく、思い立ったらすぐにできる効率の良い運動ができないという時点で、その人は危機感に迫られて仕方がなく運動を始めたとしても絶対に長続きはしないと断言できる。
だって、テレビ見ながらでも音楽聞きながらでも、誰かと電話をしながらでも、手軽にできて、しかもたったの3分間。
どうして、この運動が一部の人間にしか広まらないのか理解できないが、それはきっと数十秒でも最初はキツいからなのかもしれないと少し思ってはいる。
最初は、数十秒でも確実に筋肉痛になるし、筋肉痛になったらやらないでしょ?
私のような昔から運動ばかりしてきたバカは、筋肉痛を治すには身体を動かすしかないと思っていて、二日酔いなら酒を飲み足せば治る!という世間一般的な常識人がやっている酒の飲み方と全く同じ方法で筋肉痛を和らげているから、むしろ筋肉痛の時こそ激しい運動をして筋肉痛を筋肉痛で誤魔化す。
毒には毒をもって制する。
左は世界を制するといった具合なのだが、こんなド根性論は令和の時代には一切通用せず、「痩せたい!」「少し腹をへこましたい!」「最近、運動不足で困っている」と言う人には「無理せずがんばってください」と返答するのが正解なのだが「頑張ってください」も令和の時代には通用しないのだろうな。
そもそも「頑張るって何?」というのが令和の時代だと勝手に思っている。
そんな時代に、私は「ド根性論!」というタイトルからして汗臭く、ファブリーズを1本使ったところで、染み込んだ汗と漢臭さは消えませんぞ!というタイトルを見ただけで投げ捨てて足で踏みにじりたくなるような、世間一般的な常識人が最も嫌う本を執筆しようかと計画をしている。
ホームページにも特設でコーナーを作り、ド根性!グッズも展開していこうかなぁ?
そんなの誰が買うの?
といった商品を並べていければなぁと計画中。
どれくらいのド根性!の意気込みで書くかというと、秀麿呂が大塾旗を持ち上げて維持している時くらいの意気込み具合。
そんな事をしているから、自律神経がぶっ壊れたり、倒れたりするんすよ。
あんなね、野球一家が養成ギプスを取り付けるくらいじゃ生温過ぎて話にならないくらいのレベル。
とか書いておきながらやっている事は3分間のプランクだけなんだけどね。
それだけでも、腹周りで掴める肉は無くなったんだけど、これは人によって異なるから必ずという訳ではない。
朝から部屋の掃除をしながら新たな創作ネタを考えながら部屋と自室全体の中掃除を終えることができ、今回も床から家具から全てをピカピカにすることができ、運動にもなるし一石二鳥である。
肝心の新ネタは何も浮かばなかったのが残念ではある。
タコ殴られ戦士バコヤマンのオープニングテーマも頓挫したままだから、何か気の利いた戦隊モノを思い起こさせるようなクソ熱いメロディでも浮かばないかなぁ?なんて思っているんだけど、いつも脳内再生されるのは決まって、あの有名な戦士モノのフレーズ。
この時点で、絶対に新しい案は出ないなと確信した。
次回に執筆予定の浅中杉太郎シリーズの大元のシリーズである(まだ1作品しか出していないからシリーズ化してないんだけどね)望月&小沢シリーズも長編小説で書きたいなと思っている。
望月&小沢シリーズの脇役、今でいうスピンオフ的な立ち位置の浅中杉太郎シリーズの方が作品数が多いという逆転現象になりつつあるが、浅中杉太郎シリーズは最初から5作品で完結する事になっているから、終わりが見えているが望月&小沢シリーズは何作品で終わらせるという設定はしていない。
コナンなんて毎週のように殺人が起きてトリックが使われているんだから、無限に作品を書き上げることができるでしょ?と思い込んでいるのだが、ロクな思考が浮かばずに、むしろロクでもない思考であがってきたアイデアは浅中杉太郎シリーズで使い、まともなものだけを望月&小沢シリーズで使う流れ故に、まったくアイデアがない状態。
書き上げる作品を次々に考えてストックしておきたいね。
すっかり忘れていたけど端材04の素晴らしき落書きの世界もチビチビと進めておいた方がよさそうな気もするな。
午前中は、掃除と読書で過ごし、午後からはデジタルインビテーションの校正作業を行うことができ、使うパソコンを変えたらwordのバージョンまで変わっていて、本来であればできるのだろうけど、現在編集しているページ数がどこにも表示がされていなくて、昨日に作業した環境と異なり過ぎて、最初はとっつきにくかったけど、途中から作業になれてきて、最終的に第1章の校正作業は終わらせることができ、第2章の1/3くらいの地点まで進めることができた。
行数もページ数も表示がされないから、これならnola小説エディタを使っていても同じだなと思ったが、nolaサイトはオリジナルの文字数なんかを確認するために重宝しているから、オリジナルはそのまま放っておけばいいかという結論に達した。
第2章も相変わらず修正する箇所が多くて、時間がかかった割には進みが遅い。
でも、内容はかなりしっかりと地盤が固まってきて大満足である。
どこまで進めたのか、すぐわかるように終えた文章の最後に★マークをつけておき、次回は★を検索すれば、すぐに続きができるようにしておいた。
「えーっと、どこまでやったっけ」と前回の作業場所を探すとテンション落ちるし、下手をしたら「今日はヤラね」となってしまう可能性もあり、すぐさま続きができるように、PCが変わっても作業ができるようにクラウド上にデータを置いて作業をすることにした。
第1章を終えて、オリジナルと校正後の文字数はマイナス77文字。
これくらいの差で進めることができれば、オリジナルの総文字数と大差なく作品を完成させられそう。
結構な文章をガサッと消去したような気がするけど、その分、書き足したりして丁度プラマイ0くらになるようなバランスである。
ここ最近、夕食を終えた後に気絶することが多いと書いてきたような気がするが、今日はそんなに疲れていないし酒も飲んでいないし、本でも読むかな?と思っていたら、いつの間にかに気絶をしていて、目が覚めると23時くらいになっていて、とても身体がダルい。
運動して風呂に入りたい気持ちもあるし、本を読みたい気持ちもあるし、アマプラで今更だけど劇場版のサイコパスを観たい気持ちもあるし、バコヤマンのオープニングテーマを久しぶりに手を入れたいという気持ちもあるけど、行動しようと思っているうちに再び気絶。
23時30分くらいに再び目を覚まし、身体と脳がどんよりしている。
熱とか身体の不調ではないんだけど、意識が戻ったばかりで身体がダルい。
ボーっとする。
食事に何か仕込まれているんじゃないか?と疑いたくなるが、今夜のカレーを作ったのは私自信であり、変なクスリやアイテムは投入していない。
色々やりたい事はあるけど、時間を無駄にした事と、就寝まで時間がないという気持ちで、結局何を選んだかというと、何故かバコヤマンのオープニングテーマ。
何かふと思いついたならわかるが、ノープランである。
心理的に、バコヤマンのオープニングテーマをいじっているのが、一番時間がかからないと判断したのかもしれない。
サイコパスなんて見始めたら夜中の2時くらいになってしまうし、見ている間は他に作業ができないし。
で、何の進展もしないままウダウダしながら起きているのか寝ているのかわからないような状態で、帰りたいのに家に帰れないような、ややホラーな感じの夢を見て(眠りが浅かったのだろう)、ハッ!と目が覚めたら1時30分。
で、あぁ夢だったのか。
ここは自宅だ、安心した。
と現実世界でホッとしたのを覚えているが、そのあと、再び気絶したかのように意識を失った(寝た)みたいで、こんなウダウダした生活は耐えられないし、ハッキリした目的をもって行動しないと身体が怠くなるし、もうね、本当に最悪だと思う。
どうして食後に眠くなるのか。
食後いきなりFitboxing2で無理矢理身体を動かせば眠気は覚めるのかもしれないから、明日あたりにためしてみるが、数年前は夜食後にいきなり10kmのランニングとかして、あの時は眠くならなかったが、足腰を痛めてしまうからランニングはできない。
その代わりにFitboxing2で胃からこみあげてくるものを戻さずに激しい運動を試してみたいと思う。
数年前は夜食でビールを飲んでいても、食後すぐに10kmランニングすることができており、これは朝起きた直後に3分間のプランクをするより高難易度な気がするな。
平日でも夜食後に普通に10km走っていて、これも以前色々な人に「痩せる方法」を聞かれてアドバイスをしたけど、誰一人として実行に移す者はいなかったな。
マジでエディ・タウンゼントの言葉の本を読んでもたいたいものだ。
どれくらいの差でチャンピオンになれるのか、たったこれだけよ!という言葉を思い出すだけでも、もう少しやってみようかと思えるんだけど、これも世間一般的な常識人と令和の人には全く通用しない言葉なのだろうな。
目を覚ましてください、昭和の時代は終わったのです、根性論とか通用しませんよ!と言われてしまうのだろうな。