今日は日曜日なので会社は休みの日である。
会社はホワイト企業になって喜ばしいのだろうか?と思っていたが、怒鳴り声が無くなったくらいで今まで以上の締め付けというか、これが当たり前なのだろうけどルールでがんじがらめにされて、身動きが取れないようなイメージ。
世間一般的な会社に勤めている人にとっては普通であり何とも思わないのだろうけど、私のように異端で来た者にとっては、とても生きにくい社会になったものだなと。
自由がないといった印象である。
ルール・規則が主題となり、例えば9時前には死んでも仕事しません、客からの電話も一切受け付けないし職場からの連絡も一切受け付けません、やらなければいけない仕事も勤務時間外には一切やりません、18時を0.1秒でも過ぎたら仕事は一切やりません、みたいな、なんかねつまらないんだよね。
私が昭和のオッサンだからかもしれないけど、時間関係なしにやるべき時はやる!というのは通用しないみたい。
別に日曜日に仕事をしようと、夜に仕事をしようと、それがやるべき時であればやるし、時間外に客から電話があれば普通に対応するし。
まぁ、それが今の時代という事であっても、お客さん重視の私には勤務時間外だから知りませんという対応はしたくないしできないし。
この考え方も個人事業をやっているから、できる発想なのだろうか?とも思ってしまう。
私自信が、そういうルールにのっとってやってきていなかったのと、あまりに臨機応変過ぎにやってきたのと、あまりに毎日怒鳴られ過ぎて一切のやる気を失ってしまったのが原因なのだろう。
今日も、ホワイト企業になった会社の事を思うと吐き気がする。
太平洋あたりの広い海を泳いでいたのに、池須に移されたような気分。
とても気持ちが悪い。
多少は改善しようと思うが、7割は創作メインで活動しようと思う。
そんな感じで、心に霧がかかってモヤっているが、こればかりはなるようにしかならないのと、私の身に起こる事は全て必然であるという信念も変わらないので、恐らく今回の件は私に何かしらのチャンスが訪れているという(不利な事が多いが)事なのだろうから、気持ちが悪くて吐き気がする人たち相手に何かしらのチャンスが隠れているはずなので、それを見つけるのが当面の課題であろう。
インディーズゲームのホットライン マイアミの初回ステージで初殺人をしてリバースする主人公くらいの心境だな。
ホットライン マイアミはPS Vitaで電車移動中やら喫茶店とかでメチャクチャ、ハマったクソゲーで、とにかく死にまくるゲームなのである。
すぐに死んでしまい、1ステージクリアするのに下手をしたら30回くらいリトライしなければいけない事もあり、私の性格からして「こんなんクソゲーや!やってられるかボケが!」とか言って、ゲーム機本体を投げ飛ばして二度とプレイしないというスタイルが多いのだが、このゲームだけは全クリアまでやり込んだ。
しかも、実績のバッジ集めにも力を入れて、全部は無理だったけど9割くらいは埋められたんじゃなかったかな?
どうして、そんなに続けられたかというと一番の理由はシナリオだろうな。
やはりシナリオがしっかりしているというか、この先どうなるんだろう?と気にさせた者が勝つね。
先が読めるよとか(ある程度読めたけどな)つまらねぇシナリオだなとか思えば、すぐにプレイをやめていただろうね。
なにせ、時間の無駄だし精神的によくないし疲れるしムカつくし。
それでも全クリアするだけのハマり要素があったという事は間違いないし、どうして続けたのか?と問われればシナリオが面白かったからと答えるのだろうな。
なので、私の創作作品も内容を固めるというのは重要な作業なのであると認識している。
ホットライン マイアミでは主人公が3人くらいに分かれていて、しかも時間軸が前後したりして、話しを見ていくうちに、あぁ、こういう事だったのかと謎が解かれていったり、最終ステージのマフィアのボスのシナリオも非常に好きだったな。
書くまでもないだろうけど、「リセマラしてもタモツだった件」の作品に出てくる怪しげな3人組は、ホットライン マイアミの影響を思い切り受けて誕生したキャラである。
黒くて歯しか見えなかったり、どこぞの民族風の盾で顔を隠しているのは、私の友達であるワッチだったりするんだけど、そんなの知った事ではないだろう。
さて、いつまでも精神的ダメージを受けている場合ではない。
ここ最近は、本当に創作活動が進んでおらず、頭だけは使うことができたから、「日常」という作品の新案をチビチビ出したり、変態シリーズの合本プラス書下ろしの次世代変態野郎の短編を書いたものを1冊としてリリースしようか?とか、ショートショート作品集を書いてみようか?とか、様々な案をストックする事はできているんだけど、ド根性論であったり浅中杉太郎の執筆は全くといっていい程、進んでいないのである。
こんな事では、年内の行動目標をクリアすることができず、来年の予定まで狂ってきてしまうであろう勢いでできていない。
約2週間も作業が進まなければ、私にとっては世界の終わりくらいな感覚。
やろうと思えばできたであろうタイミングもあったが、お約束の横ヤリ仕事が入ったり、退勤時間が迫っているから書けなかったり、中途半端に書くとよくないという思い込みもあり、まとめた時間がないと作れないという体質を生み出してしまったみたいである。
執筆ではなく案出しは、どのタイミングでもできるので溜まりやすいが何も浮かばない事の方が多い。
案のストックが切れていると言っても過言ではない状態なので、書けない分、案をストックしようとしているも、パチスロの初代の吉宗のように強ハズレでボーナス放出ではなくて、ボーナスをストックするという設定1ながらのストックモードに入りたいと思い、思いついた事をとにかくボロッボロになったロルバーンに記しているが、どうもまとまりがないというか、まだつながならい印象。
細かなアイデアとアイデアを足して引いて割って掛けて、話しを引き伸ばしてネタにするんだけど、現在は個別のネタがチビチビ集まるくらいで、まだ調理はできない様子。
とりあえず現実に戻り、朝5時起床をして時間の確保をすることができ、ようやく約3日分溜まってしまったブログを一気に書き込むことができた。
本当に、ここ最近は会社に精神的ダメージを受け(自爆ね)ブログすらまともに書けないような危篤状態だったんだけど、ようやく今日、溜まっていたブログを書き終えることができてスッキリした。
でも、このまま職場で何も書けないようでは話しにならないから、今まで通りガリガリに浅中杉太郎の執筆はやり遂げようと思っている。
私から創作作業を無くしたら何が残るというのだろうか。
生きているうちに、私は生きたぞ!という証明のために多くの作品をリリースしているのだから、その活動なしでは生きていく理由が見当たらなくなってしまい、さらにヤバいステージへと突入することになってしまう事は間違いないだろう。
あまりにも世間一般的な常識人とのズレ幅が広すぎて、生きにくいんだよね。
そういう人は、世間から離れて絵描きになったりすればいいんだろうけど、なにせ才能がないからねぇ。
才能っていうのは、知識と経験の賜物なのかもしれないという考えはあるけど、天然的な何かの要素も必要なのかもしれない。
午前中は主にブログ執筆と100問ナンクロ雑誌を少し進めた。
100問ナンクロがあるのはいいのだが、私の大嫌いな漢字クロスが5問くらい混じっており、厄介な問題から終えておこうと思い、最終的に今日だけで漢字クロスをキレながら5問終わらせることができた。
途中から、まともにやるのがバカらしくなってきて(時間の無駄)解答欄の数字付近のみ解答して、全力で答えを予想したような感じになってしまったが、辞書に出てこない漢字の組み合わせなんかもあって、楽しんでやるというよりは、キレながら無理矢理終えた。
本当に時間の無駄だと思ったけど、100問の解答用紙に空白ができるのも嫌だし、とりあえず全問埋める事前準備をすることができた。
午後からは、上野のいつもの喫茶店でド根性論の執筆を行うことにした。
執筆というよりはページ制作といった方が正確だろうか。
文字数は、このうえなく少なく、1ページ毎に制作をしているので、意外と時間のかかる作業なのである。
で、予測はしていたんだけど、やっぱり案の定、3連休の午後だというのに、喫茶店の入口には長蛇の列。
今日は雨も降っていて、そんなに暑くないし、わざわざ上野の喫茶店(安いチェーン店)まで3連休に来るかなぁ?と毎回、不思議に思う。
この喫茶店以外にも、多くの喫茶店があるんだけど休みの日は常にお客さんが150%オーバーでいる感じ。
コメダなんて常に行列ができていて、整理券取ろうと思うと15人待ちとか書かれていて、いやいや、これ店に入れるの一ヶ月後くらいじゃね?とか思ってしまうくらい、休日は常に喫茶店は超満員。
むしろ平日でも超満員だから、コーヒー店開けば確実に儲かるものだと思っている。
でも、今日は喫茶店でド根性論を進めたい気分だったから、我慢して15分くらい列に並んで、座る席とかあるのかな?
なんなら立ち飲みで、片手でノートPC開いて作業するしかないのか、もしくは床に座り込むか寝転がって作業するしかねぇのか?とか思っていたが、2階の客席へ行くと思っていた以上に空席が目立った。
レジに並んでいた長蛇の列の人はどこへ消えたのだろうか?
こういうちょっとした不思議がネタになったりするんだけどね。
普段は並ぶのとか待たされるのが嫌いだから、レジに人が並んでいるのを見るとすぐに立ち去ってしまうが、今日はそういう訳にもいかず、仕方なしに長蛇の列の最後尾に並び、時間つぶしにスマホで雑誌を読んで順番を待つことにした。
正確な時間はわからないが、雑誌の半分くらいを読み終える頃にレジカウンターまで辿り着くことができた。
半日くらい待たされるかと思ったが、思っていた以上に早い段階でレジに辿り着くことができた。
「アイスコーヒーのLサイズをひとつ」
いつもならMサイズしか注文しないが、今日は長丁場になると思い大きいサイズを注文することにした。
何せ、一度作業に没頭すると周りが見えなくなり、時間の経過を忘れてしまう。
自分が、いつアイスコーヒーを飲んだのかすら覚えていないくらいである。
心身の疲れで、ふと我に返るとアイスコーヒーがいつの間にかに空になっているという事はよくある。
レジ前に置かれているストローをトレイに置き、真っ黒に染まりあがっているグラスが滑り落ちないように気を付けながら階段を登る。
あれだけレジ前に長蛇の列ができていたのだ。
ひとつも席は空いていないかもしれない。
もしくは、隣の席と間隔の狭い、最悪な場所しか席が空いていないかもしれない。
ここ最近、コロナに無軽快な人が増え、爆発的にコロナウィルスの感染者も増えているというニュースを今朝もしていたくらいだし、コロナ感染のリスクを負ってまで窮屈な席で創作作業をする意味はあるのだろうか?
それであれば、持ち帰りにして自宅で執筆をしていてもよかったのではないだろうか?
そもそも休日に、わざわざ喫茶店に来て長蛇の列に並ぶ理由がわからない。
そこまでして来るような店とも思えないし、やはり世間一般的な常識人の考えは私には理解できない。
何が正解なのか答えを出せないまま階段を登りきり、客席を見渡してみると、レジ前の長蛇の列とは裏腹に、空席がポツンポツンと見受けられる。
あの人達は、どこへ消えたのだろうか?
まるでハーメルンの笛吹みたいに、どこか異次元にでも連れ去られたとでもいうのであろうか?
それとも私が過剰な思考になっているだけなのだろうか?
いつも座っているお気に入りの奥まっているテーブルは埋まっていたが、隣の席とは間隔の離れた席に座ることができ、一安心をすることができた。
と、小説風に書いてみたが、こんな感じ。
本当に長蛇の列に並んでいた人たちは、どこへ消えたのだろうか?
私が入ったタイミングがピークにレジが混んでいたという事はよくある事だから、常に50人くらい並んでいるのではなく、私が来たタイミングで50人くらい並んでいたという事なのかもしれない。
1日に喫茶店に入ってくる客をカウントすると、恐らくではあるが1日10万人くらい喫茶店に来ているのではないだろうか?(1店舗にね)と思う。
近隣に最低でも15店舗はあるから、150万人の人が上野の喫茶店を利用しているのではないだろうか?と思っている。
それくらい人が多いが9割は外人かな。
久しぶりにド根性論の創作活動をすることができて、50話中26話まで持っていくことができた。
ようやくといったところだろう。
文字も、本当に少ないから時間がかからないように思うのだが、意外と時間がかかってしまい、なかなか思った通りに進まないんだよね。
折角の連休なので、好きなだけ創作活動をしたいと思っていて、明日で完成させたい!という気持ちはあるけど、丸1日作業しても終わらないだろうなといった印象。
本当に不思議だけど時間がかかるんだよね。
それと、登場人物の紹介ページとまえがきとあとがきも書くつもり。
なのでギリギリ、今月中のリリースができれば上出来かな?と言ったところ。
あ、そうそう。
午前中集荷予定の人が13時ギリギリに来やがって(忙しいから許してやろうぜ)ようやく8インチタブレットを郵送することができた。
早く新品が戻ってこないかなぁとワクワクしている。
新品で戻ってくるであろう8インチタブレットを使ってド根性論のキャラクタ紹介ページでも作ろうかなぁ?なんて思っているけど、でも自宅作業になりそうだからipad使った方が画面大きいし、ペンも思った通りに書けるから有利なんだよな。
購入した時と同じように、翌日に手元に届いてくれると超嬉しいけど、流石にそれはないだろうな。
新品に交換してくれるだけでもありがたいと思った方がいいだろう。