2025年02月 ブログ

2025年2月23日 余生の写真活動について悩む

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今日は日曜日なので、珍しく朝6時起床をしてゆっくりした朝からの朝食作りなんかをした。
そして前日のブログ執筆。
本来であれば、空き時間ができれば端材06の制作を進めるべきなのだが、どうも気分がのらない。
乗らないというのも変な表現だが、現段階で端材06を進めるのであれば、リストに記載したアイテムのブツ撮りの段階。
そして文章は会社で空き時間にでもポチポチ書いていこうか、というのが前回決まった作戦である。
なので、本来であれば今日の午前中なんかはブツ撮りをすべきなのだが、どうも撮影する気分にならない。
それよりも、今年で50歳になってしまい、あと何年生きられるかわからない余生についての活動が決まっていないという事に焦りというか、何かしらきちんとした目標を立てて生きていきたいし、せっかく生きることができたので、何かしら残して去る余生にしたいなぁ、なんてことを考えてばかり。
要するにボケーっと生きたくないけど、しっかり芯の通った目標がなくてフラフラしているだけという中途半端野郎な自分に嫌気がさしているけど、いざやろうと思っても覚悟ができないというか、思い切りというか踏ん切りがつかないというか、やっぱり最後は覚悟を決めなければいけないのだろう。
今の現時点で、今後ずっと続けていくであろう活動は、本の執筆と写真撮影と音楽活動。
この3つだけはやめないと思う。
今のようなペースでの執筆はしないし、100冊出したらピタリと出版が止まってしまった?みたいな感じになるかもしれない。
今現在、考えている事は超長編小説を書くという事であり、それが浅中杉太郎シリーズになるのか、他のシリーズになるのかは決まっていないが、今のようにあれこれ考えて、様々なジャンルの小説を出すという事はもうしない。
たまに気分で短編集的なものを出すこともあるかもしれないけど、今のようなペースで出すことはないだろう。
音楽もアルバムを10枚はリリースしてベストアルバムを制作するという目標がある。
実現するかどうかはわからないが、シングルCDもそれなりに出すつもりである。
世の中に言いたい不満はたくさんあるんだけど、それを歌にして世に出すか?というと、それはわからない。
で、テンションがあがったり下がったりする写真活動も今以上にやっていきたい。
現在は、電子書籍をリリースするための写真を撮影したり、自分の好みの絵でストリートスナップを撮影するというような事が多く、できる事ならハービー山口氏のように、人の役に立つ写真撮影というのをしてみたいものなのだが、これがまた難しいなんてものではない。
私の現状は、写真を撮影することにより相手を不幸にしているのではないだろうか?
という事もあるかと思っており、むしろハービー山口氏と真逆を行くスタイルもありだとは思っている。
ダークな作品ばかり撮影するやつね。
それはそれで芸風だし、そういうスタイルもありだし、写真を見る者が不安になるような印象を与える不安定な写真を撮影するのも技術である。
虫とか死体とか道路にまき散らされているゲロとか、そういうのではなくて雰囲気がダークなやつね。
写真を見た人が「うっわ・・・これは・・・」みたいな感じに思えてもらえると本望かな、と。
いやいや、そういうダークなやつを撮影する方針ではなくて、今の私にとって足りないモノは自分でも気付いていて、何事においても「ストーリー」が足りていない。
すべてが「個」でありストーリーがない。
故に感動もない。
薄っぺたい表面だけの作品であり、奥行きというか深みがない。
故に、やはり感動はない。
今日の午前中も自宅にある写真集を引っ張り出して様々な思考を巡らせながら読書をした。
持っていない写真集にも興味がわいてきて、数冊買いたいなと思っている。
今日は買っていない。
残りどれくらいあるのかわからない余生で写真という媒体を通して、世に発信する、後世に残していきたい写真。
紙でもデジタルでも、どちらでもいいんだけど、それは見た人が考えさせられる写真、感動できる写真なのだろうか?と薄っすらと思うんだけど、それが何かは正直わからない。
ドキュメンタリー形式でストーリーを持たせる、もしくは景色でも見た人が何かを考え冴えられる、考えてしまうような写真を撮影していきたいな、と。
人を撮影するにしても、そこに主題をのせて、しっかりしたコンセプトに基づいて撮影をして、ひとつの作品集をみれば、何を伝えたいのかがわかるような、そんなストーリーをもった写真を余生で撮影していければな、と。
どうやって撮影すればいいのか、技術的な事なのか、単にシャッターを切っただけで、そこに感動はないよ?という意見もあるだろうし、撮影した人の自己満足なだけだったりもするだろうし、きっと正解なんてものはないし、そこに辿り着けることもないかもしれない。
それでも、そこを目指して活動していくという目標は、写真を続けていく上で必要な事ではないだろうか?とも思っている。

そんな訳で、午後からはいつも通り散歩も含めてQ2モノクロームとペンタックスSPを持って外へお出かけをした。
今までのようにガムシャラに写真を撮影するわけではなくて、人を感動させる、人を喜ばせる、撮影者の意図が伝わる写真、見たら考えせざるを得ない写真等々・・・
そんな写真を撮影するにはどうすればいいのか。
どうすればストーリーを写真に乗せることができるのか。
そんな事を考えながら撮影をしたくなってきたのである。
そして、いつものように嫁を浅草へ送り届けてから、御徒町あたりからストリートスナップ。
もうね来慣れ過ぎていて撮影するモノなんてないよ、という状況ではあるが、御徒町駅前で湯島天神の祭りが開催されていた。
大人数(200人くらいか?)の男女が同じ紋が入った浴衣みたいなのを着ていて、神輿を担ぎ始め、若い男女が声を張り上げながら太鼓をたたいて鼓舞している。
これだ!
これは撮影すべきだ!
直感した。
以前にも神田明神の祭りの時に、神輿を担いでいる人たちを間近から撮影して、かなり迫力のある写真を撮影することができていて、その成功体験から撮影しなければいけないと直感した。
私のような私服を着た一般人も多くいて、私と同じように首からカメラを提げて撮影している人も結構いたな。
お前らはズームが使える一眼レフだろうけどな、私は28mmのモノクロカメラやぞ!
という精神で、ドカドカと神輿に近づくもなかなか人が多くて近寄れない。
しかも左右に大きく暴れて一般人まで巻き込んで人波も激しいが、この抑揚管を持って撮影したら、写真を見た人にも熱気が伝わるんじゃないか?と。
途中でペンタックスSPに持ち替えて55mmタクマーレンズで激写。
太鼓をたたいている女子も激写。
一応、Q2モノクロームでも激写。
ついでに一般人の女性も激写(おい!)
途中でついていくをのやめてしまったが、湯島天神まで追いかけて行って最後まで撮影すれば、それこそストーリーが生まれるのではないだろうか?と思ったのだが、そもそも顔とか思い切り写っているし、電子書籍にしたいなんて許可取れるレベルの顔写りではないし、これはこれで私が理想としている写真が撮影できるだろうか?という実験的な立ち位置で撮影してみた。
これらをきちんとした本にするのであれば、最初から申し出て同行撮影するとか、そんな感じになるのだろうけど、そのレベルには至っていない。
そこから浅草へ移動しながらストリートスナップ。
もう浅草はいいじゃねぇの?と思うくらい撮影しているのだが、今回は何となく慣性で写真を撮影している訳ではない。
ストーリーを乗せた、見た人が考えさせられるような作品を探し求めながら、人が多く集まる、あの煙を身体にかけるやつ。
名前しらないんだけど、そこの煙がリアルに撮影できんかな?とか思って、つい先々週あたりから何回か撮影しているんだけど、そこでペンタックスSPで無許可で人々を大量撮影。
そのうち警察呼ばれますよ?
というくらいしつこく撮影はしていないんだけど、数ショットした。
ちなみに先週あたりにも同じ事したんだけど、Q2モノクロームには煙がかなりいい感じに写っていて、リアリティあるなぁ~とは思っていたんだけど、今回は物腰が違う。
とはいえ、まだ方向性も決まらずに悩みながら揺れ動いた精神でシャッターを押しているので(この精神論って関係ないよな?)とても中途半端な絵が出てくるかもしれないと思いながらの撮影。
あ!この女の子撮りたい!とか思うのは本能で仕方がないが、寺で煩悩丸出しでの撮影というのも・・・って、ああ、書いていてようやく気が付いたけど、罰が当たったのかもしれない。
これは明日の朝に気が付くことになったんだけど、ペンタックスSPのフィルムがカメラの中でちぎれていて使い物にならなくなってフィルム1本全滅したんだよね。
ああ、そうか。
そういえば寺で下心丸出しの煩悩に塗れた気持ちでシャッターを切ったからダメだったのか。
土門拳レベルの精神でシャッターを切る必要があったのかもな。
それから、今日こそはとスカイツリーまで徒歩で移動してストリートスナップ。
スカイツリーは昇ったことはないが、下まで来たのはこれで5回目くらい。
以前はX-Pro1にタクマー着けて撮影にきたり、M3に赤エルマーつけて撮影しに来たりした思い出があり、ここも撮影するポイントないんだよね。
ソラマチは人で溢れかえって入れないし。
仕方がないから、ペンタックスSPとQ2モノクロームで通行人を巻き込んでのストリートスナップを撮影して遊ぶことができた。
そして徒歩で嫁を迎えに行ったりして1日を終えたわけなんだけど、スマホで約300枚。
Q2モノクロームで約30枚、ペンタックスSPで約20枚撮影をすることができて大満足なんだけど、撮影した写真を確認すると、気持ち的なものか金曜日にフラフラしながら撮影した写真よりも良い印象がある。
恐らく第三者に見てもらうと、どっちも変わらんねという意見になるのは百も承知ではあるが、そこは自己満足的な感情も入ってか、今日撮影した方が良い写真であると言える。
Q2モノクロームのフルサイズ撮影は半端なくて、相当トリミングをしてみても画が乱れることなく28mmの画格が50mm以上にもなる。
でも、気分的に28mmで撮影した写真をトリミングするのは、あまり気持ちの良いものでもないんだけど、そこはフィルムのプリント工程でもトリミングは頻繁に行われる行為であり、それをデジタルでやったところで何の問題もないので、自己満足でいいんじゃないかな?
今日は飲まず食わず休まず2万歩オーバーを達成することができ、写真撮影という趣味、もしくは作品作りをしながら健康にもなるという2段構え。
これであればジジイの趣味にはうってつけかもしれないと改めて考えさせられる。
当然ながらハッキリした答えはでないし、Q2モノクロームで撮影した写真にストーリー性はまるで乗っている様子も感じもなく、LeitzPhone3で居合い斬りだか辻斬りだかわからないが、懐刀で撮影したストリートスナップの方が、余程ストーリーというかリアリティあるわ!といういつもの結論に達した。
が、この答えを探し求めて写真を撮影し続けて、展覧会を行ったりするのも悪くは無いなとも思った。
ルパンに出てくる五右衛門の境地までいきたいものである。
「また、つまらぬモノを撮ってしまった・・・」というセリフが本心から言えるくらい。

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