2025年04月 ブログ

2025年4月11日 やはり慶応義塾大学病院ムカつく

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今日は会社を休んで、慶応義塾大学病院へ嫁の手術のための事前検査や説明なんかを聞く予定が入っている。
この病院、行く度に職員がやらかしまくり、私の神経を逆なでさせるわけで、いい加減に、この病院が未だに寺子屋レベルの昔ながらの病院経営をしているというのは頭ではわかっているのだが、その効率の悪さに「なんでだよ!」というツッコミを1日5000回はすることになるので、それはもうツッコミっぱなしな状態になり、それだけでも果てしなく疲れる。

結果で書くと、朝の9時19分に駐車場へ車を入れて、無駄なく動いて、駐車場を出たのは18時1分。
はぁ?ってなるよな。
駐車場の領収書に時間が明確に表記されているので、間違えてもいないし嘘も書いていない。
下手をすると私の効率が悪いんじゃないの?と思われて仕方のない、長時間レベルの滞在である。
が、前から書いているように、慶応義塾大学病院(他の病院もそうかもしれないけど)とにかく、データや話しをした事の連携はゼロで、その話しをした人や書類を渡した人だけで、話しは止まってしまう。
嫁には連絡しないで私にだけ予定を連絡すればいいと伝え、「わかりました」と言いながら書類に何か書きたしていた割に、何度も私と嫁の両方に連絡が来る。
書類上、住所は別居になっていないから、どちらかに連絡すれば終わる話しだろう。
恐らく、マニュアルではそうなっていますから、上から言われてますから、とかそんなところなのか、自分の中にしまいこんでしまい、周りには通達しないのがルールなのかはわからないが、とにかく同じ説明を1日で10回以上はしなければいけないのが慶応義塾大学病院なのである。
本当に大袈裟に書いてない。
他の患者で時間がかかったりするから、時間に幅を持たせるのは理解できるし、そこに関してはツッコミは入れないのだが、それにしても予定時間を大幅に1時間以上も超えて待たせたり平気でするし、「日本人はさ、時間に正確過ぎるよ、バスなんてその日に来ればいい方だぜ?」と、それが当たり前の国の人であれば「なんだ、意外と早く順番来たじゃないか」となるかもしれないけど、生活習慣病のように1分のズレも許せない(自分自身に対してね)ような几帳面というか面倒くさいヤツには、本当に耐えがたい状況なのである。
当然の事ながら、私の場合は多くのガジェットを持っていっているので、今日は「やりたいことをやりなさい」の読書をして、1日で一気に半分以上読み進めることができたから、待つことに対しては、全く問題はないし、ipad miniを持っていったので作曲することもでき、なんなら2,3日かかっても構わねぇよという装備で挑んでいるから問題はないが、無駄に待たされている嫁が可哀想。
それと、他の患者はどうしているのだろう?と観察してみると、本を読んでいたりスマホで何か見ている人もいるけど、大半の人はボケーっと待っていたけど、何時間もボケーっとできるものなのだなと感心してしまった。
私には絶対に耐えられない。
無駄過ぎる。
そういう人生をボケー―――――っと過ごす無駄な時間が極上に幸せな時間なのだよと言う人が一定数いることは理解しているけど、その人にはその価値観で合っているのだろうけど、私には絶対に無理だ。
本当に無駄に待たされまくり、そして一つの検査を終える度に手持ちの紙の書類が無駄に増えていくという謎仕様。
自宅を出る時には、今日提出する必要な書類だけ持っていき、帰りには手ぶらになるはずだったのに、慶応義塾大学病院の大きな封筒がパンパンになるくらいの書類が手元に残った。
Lineで友達登録をして診察券の番号で登録もしているんだから、説明書類だったりそういうのはLineで贈ってくれよ!と。
まぁ、この手の管理をしているのは昭和のオッサンがやっていて「若いヤツに任せられるか!それにこの仕事をとられてしまったら、私の仕事がなくなって面倒くさいだろ!」とか保身しか考えていないクソみたいな昭和のオッサンがやっているであろうから、それは新しいツールを使って新しい事にチャレンジをして、若い人に色々とやらせて成長させていくなんて事はできないだろう。
それができていれば、もっと病院内の作業効率は良くなっているはずなのである。
ここで働いている人は、これが当たり前だと思っているから何の疑問もないだろうが、私からすると本当に無駄の塊でしかない。

ただ、あまりにも無駄過ぎて、「無駄って悪いことなのか?」と考えてしまったくらい、無駄思考に支配されそうになったね。
そもそも、私みたいに時間に正確、約束はきっちり守る、作業効率を高めて生産性をあげる、これらが生きていく上で本当に必要なのか?
毎日、天候を気にしながら農作物を作って、自分のところで収穫できたモノと自分の所では生産や収穫ができない、野菜や魚、洋服なんかと物々交換をして、異性と共同生活をして結婚して子供を産んで家庭を守りながら生活していく。
これでいいじゃないだろうか?
無駄をなくして効率重視で生産性を高めて、収入を増やす事を考えて無駄にストレスを溜めて、一体何の意味があるのだろうか?
慶応義塾大学病院みたいに、時間に縛られず、効率なんてクソくらえだ!何が効率だよ!
こっちは多くの患者を相手に事務処理しなきゃいけないんだ!
順番が来るまで黙って待ってろ!
この経営方針のどこがいけないのだろうか?と疑問に思うようになってしまうくらい、無駄のオンパレー。
1号館の1階から2号館の5階、そして3号館の4回を何十往復もして、本当にケルナグールくらいのレベルやら、バイオハザードくらいの行き来をさせられ、今日も病院内だけで6千歩オーバー。
私のような健康な人であれば、移動に全く問題はないが死にかかっている病人には、まず無理だろうし、普段歩かない現代人にも絶対に無理な話しだろうなと強く思ったね。
大袈裟ではなくて、本当に数十回行き来していて、3号館4階まで行ったら、通電していないせいで扉が開かず1号館の1階の端の部屋にあるバッテリーを持ってこなければ扉が開かない、1号館の1階まで戻って再び3号館の4階まで戻ってきて、バッテリーを装着するも今度はヒューズが切れていて、そのヒューズは2号館の5階の奥の部屋にあるんだけど、そこまで行くと今度はヒューズを取り出すために小さな鍵が必要になり、そのカギは1号館の3階にあって、そこへ小さな鍵を取りに行くと小さな鍵が置かれている部屋の扉が開かずに、クランクが必要になり、そのクランクは3号館の1階の片隅に置いてある、みたいな、本当にそんな感じで1日で何十往復もさせられるのである。
冗談ではなくて本当の話し。

そんな訳で、今日は1日病院内で読書をして夕方から、久しぶりに夜の時間に、ここ最近全く使えていないライカQ2モノクロームを持ち出して浅草まで約1万歩の散歩。
病院内を6千歩くらい移動しからいいじゃないか、とはいかず、金曜日の夜で雨が降っている事を考慮すると人は少ないはず、という読み通り、いつもの半分以下くらいの人しかいなかったので(外人は雨が降ると外にでないのだろうか?)いつもよりも少ない通行人をまきこんでのストリートスナップを撮影してみた。
当然の事ながら自宅に戻ってもライカQ2モノクロームで撮影した内容は確認しておらず、そのうち時間のある時にゆっくりと自分の作品と向かい合ってみようと思う。
相変わらず、背面のモニタは表示させていないので、撮影する時のみEVFで見えるくらいで、仕上がりがどうなっているのかは正直わからない。
そもそもEVFも背面のモニタも要らないんだよね。
なんならファインダー無くてもいいくらい。
外付けのファインダーが取り付けられれば何でもいいやという、相変わらずのフィルムスタイル。

それにしても、暖かくなり始めた金曜日の夜の雨は最高に気持ちがいいね。

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