今日は日曜日なので会社は休みである。
可愛そうな事に嫁が約1週間程度だが手術で入院をする予定になっており、今日も慶応義塾大学病院へ入院手続きで朝から動く。
日曜日に受け入れをしてくれるのは非常にありがたいことである。
朝10時に来てくださいね~と言われ、相変わらずの慶応義塾大学病院側の手際の悪さが際立ち、50分くらい待たされるという、いつものオチ。
日曜日だから仕方ねぇなと許容せざるを得ない状況ではあるのだが、ワンオペで入院待ち患者が私で21番目になっており、1人が1人ずつ対応しているので効率の悪さは、相変わらず天下一品。
当然の事ながら読書をして待っていたから、別に5,6時間どころか1日、2日待たされてもコンビニはあるしトイレはあるし、最悪は電源を借りればタブレットは復活するので、それだけ待たされても問題はないが嫁が可哀相である。
なんのために10時に指定してきたのか意味不明なのと、私のように時間厳守人だったり、電車やらバスなんかの運転手あたりも秒刻みで予定を考えていると思われなので、このいい加減さには耐えられないのではないだろうか?
時間なんて別に考えてもいないし、陽が昇れば朝だし陽が暮れれば夜だし、腹が減ったら飯食えばいいし、のんびりやろうぜ?という人でないと耐えられないかもしれないな。
そう考えると、慶応義塾大学病院は現代人が忘れている、何か大切なモノを思い出させてくれる場所かもしれない。
無事、手続きが終わり秋葉原に寄り道しようかなぁ?なんて少し考えてみたけど、ホコ天のスナップ撮影してもつまらないし、行きたい店もないし、欲しいパーツも今のところないし、ダラダラ散歩しても時間の無駄だと思い、まっすぐ帰宅をしてタモロックのニューシングル曲を少し作曲を進めてみたが、全くダメ。
いつも通りスランプなのだが、毎回スランプなのでスランプがデフォルトになっているという事は、常にダメな状態が続いているわけであり、それはスランプではなくて基からダメじゃん!という低能ぶりを発揮してみた。
一ヵ月以上前な感覚で正確にいつの頃かは覚えていないのだが、ここ最近、アウトプットばかりでインプットができておらず知識というか、シャキッとするためにも新しい刺激が必要だということで読書をすることにした。
以前から買っておいて放置しっぱなしのGACKTの勝ち方と何故か衝動買いをした世捨て人のすすめと狂いのすすめ、それとたまたま他の雑誌で目についた「ずっとやりたかったことをやりなさい」という、どうやらメジャーな自己啓発本らしいが、私は今回初めて存在を知った。
たまたまkindleでポイント半額戻ってくるセールになっていたから即買い。
全てを同時に読むことはできないので、世捨て人のすすめを読んで、GACKTの勝ち方を読んで、ずっとやりたかったことをやりなさいを約半分読み終えた。
いつものように、まとめ専用のモレスキンの大容量ノートに気が付いた事、本を読んでやってみた方がいいと思った事、関心した事、素直に思ったことなんかをガリガリと書いてみた。
過去に数百冊と自己啓発本を読んでは、まとめて実行まで移してきたので、こんなん知ってるよ、とか以前にどこかで見たことがあるな、というような手法は多く、すっかり忘れていた事を思い出したという事の方が多いわけなんだけど、要するに過去に読んだ本はその時は行動するにあたり起爆剤になったかもしれないけど、一時的な事で忘れてしまっていたり、もしかしたら今の生活の基盤になっていて、当たり前に行動しているから本に書かれていた手法を取りこめたことに気が付いていない項目もあるかもしれない。
でも、ほとんどの事が、そういえばそんな事あったねぇと思い出すような流れ。
これ、少し前に書いたかな?
GACKTの勝ち方を読み終えて気が付いたんだけど、本当の意味で「外に敵はいない、敵は自分自身」という言葉を数年前からバカみたいに繰り返して「目先の出来事に囚われて、本来狩るべき相手を見誤らないでいただきたい」という赤井秀一の名言のページを手帳に貼り付けて毎日見たりしていたんだけど、それはなんとなくはわかっているけど、理屈なく「そうしなければいけない!」という芯のないような状態で自分自身に言い聞かせてきただけなので、会社のヤリマン肉便器如きに動揺させられてしまい基盤が崩れるという、一夜城ですか?
いやいや、そういうラブホがありそうな名前だけど、そうではなくて、貧坊ちゃまですか?みたいな、そんな張りぼてみたいな状態だというのは、自分でも薄々気が付いていたんだよね。
でも、中古で400円くらいで購入したGACKTの本のおかげで本質に気が付くことができ、抜けていた芯の部分を補強することができた。
そして、それを実際に実行に移すのはこれからだけど、他の本で刺激を受けて作ったマンダラチャートに理想の自分という項目で各項目ごとにやるべきことを書き出していた訳なのだが、それはスケジュールに落とし込んで実行できている。
そのマンダラチャートが実は今回のGACKTの勝ち方から得た、外に敵はいない、敵は自分自身であるという裏付けというか根拠というか答えが書いてあり、全てが無駄ではなかったな、というのを体感することができた。
理想としている自分を常に前に立たせておく必要があり、それがマンダラチャートに書かれていて、要するに理想としている自分を描いたマンダラチャートを更に具体化して、途中で手を抜いてしまう・休んでしまう・怠けてしまう自分に負けない。
弱い自分が敵だというのはずっと認識していたけど、理想としている自分は目の前に立たせていなかったんだよね。
つらいから休む?ふざけんな!っていう話しなんだけど、どうして「ふざけるな!」なのか?
単なる精神論だと思っていたのだが、それは理想としている自分に追いつくために、ここで手を緩めたら追い付けない。
だから「ふざけるな!」だったわけであり、自分自身に対して喝を入れていたのは間違いないが、その理由を更に明確にすることによって、単なる精神修行でやっているだけではないと理解できただけでも、400円以上の価値があったのではないだろうか?と思った。
かなり訳のわからん事を書いているとは思うし、こんなん他人に披露するような内容ではないのだが、どうせ誰も読んでいないだろうから、思い切り本当の事を書いて見た。
この効果あってか、最近は惰性で書いているようなライフログの手帖も久しぶりに意味をもつようになってきたので、手帳を購入して毎日書いている甲斐がでてきたのと、自分自身にとってかけがえのない価値が出てきた(毎回、波があって活用できている時もあれば、できていない時もある)のだが、これも慣れてきてしまうと、また単なる日記帳と化してしまうだろう。
しかし、毎日がマンネリ化をしてしまい、新しい学びというか同じ生活を繰り返していると気が狂いそうになるので(既に狂っている)新しい刺激を取り入れた生活を心がけ、理想としている自分(絶対に追いつけないのは百も承知で一生追いかける、これが人生の醍醐味なのかもしれない)に少しでも追い付いて、理想としていた自分に追いついた時には、さらに進化している理想としている自分が先を行っているような、そんな感じの人生にしたいんだけど、それってさ、また心身共に疲弊して気が狂うよ?と思わなくもないが、ほとんどが期間限定な気がしなくもないな。
昭和の時代の小学生がテレビでカンフー映画を見て、真似して自分が強くなったような気がするけど翌日には忘れている、みたいな、そんな感じだろう。