2025年04月 ブログ

2025年4月15日 浅中杉太郎を書きたくなった

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今日は火曜日で、先週やら今週は相当に落ち着きのない日々だったような気がする。
本来であれば今日はチャリ通勤をする日なのだが、今日は嫁の手術がある日なので、チャリ通勤とかいう気分ではなく、荷物も若干あることから車通勤にすることにした。
通勤中は先日から読み始めたGACKTの思考術をまとめながら読み進めることができた。
他の自己啓発本なんかと比べると、ストレートな書き方をしてくれるので非常にわかりやすい。
それと何故か共感できる部分が多いような気がしなくもない。
それは恐らく私が昭和のオッサンなので共感できるものなのかもしれないな。
令和の人には無理があるような気がしなくもないし、仮に令和の人が読んだら、コイツ何言ってんだ?と理解すらしてもらえない気もした。
歯を食いしばって根性でやり抜くとか、令和の人には理解もできないし、できもしないし、そもそもやろうともしないであろう。
それだけ売国奴の政治家の手によって日本が弱体化させられ気が付いたら他国の植民地にされているという図式が容易に脳裏に浮かぶ。
あの国とあの国とあの国あたりが狙いをつけているに違いないだろう。
いや、まさかあの国もひっそりと侵略しているのかもしれないが、まぁ、それは私の勝手な想像だから放っておくとしておいてくれ。

会社に到着してからは、いつも通りに手帳の整理から開始をして2日前のブログ執筆を行った。
先日分は午前中に書く時間がなかったので病院で書いた。
昨日は朝イチで会社を出て午前中の仕事で苦戦を強いられ、そのまま病院へ行ってしまったので先週の振り返りからの今週の目標設定ができておらず、それを今日の朝に行った。
不思議と先週の出来事が相変わらず数ヵ月前のような感覚に陥っており、特に金曜日は1日病院で夜は雨の浅草をストリートスナップしたわけなのだが、それがもうね、相当昔のような感覚。
月曜日から木曜日は基本的に会社にいたわけなんだけど、それすら何をしていたのかよく覚えていなくて、手帳を見て「あぁ、こんなんやってたなぁ」と毎日、同じような事を繰り返しやっていて、毎日同じような思考をしているから、いつに何をしたのかなんて手帳を見ないと正確に思い出すこともできなくなっている。
ここ最近は運動関連はよくできているのだが、食生活があまりよろしくなくて多くの運動をこなすことはできているのだが体重は現状維持のまま痩せることができずに困る。
運動ができているので肩こりなんかも全くないのだけは救いだな。
運動面に関してはマンダラチャートに記した通りの行動ができているので良しとしよう。
いくつか理想としている自分の行動も密かに行うことができていたりするので、精神面的にも落ち着いてきていると思いたいのだが、何回か国道4号線のマナーのない、日本人だか外人だかわからないドライバーを引きずり降ろして撲殺したくなったことが8、9回くらいあったので、この辺りの思考を補正をかけていきたいところではあるね。
なんかね、バカにされているような気がして「なめんじゃねぇよ!」と思い知らせてやりたくなる気持ちがあるんだけど、そのあたり、書くまでもないんだけど倒しても倒してもキリがない話しなんだよね。
私が常にハッピーな状態でいられれば、許容範囲ゼロが広がって、ウィンカーも出さずに車線変更禁止の部分で強引に割り込んでくる黒いワンボックスファミリーカーだったりタクシーを許容することができる事だろう。
国道4号線を走る春日部ナンバーと川口ナンバーと葛飾ナンバーと足立ナンバーの9割はウィンカー出さないで強引に割り込んでくる輩が多くいる。
本気で泥酔状態で運転しているか、もしくは、クスリがキマっている状態で運転しているものだと思っている。
もしくはその両方の状態なのかもしれない。
クスリでトリップした状態で酒もガバガバ飲みながら運転して泥酔状態。
上野や埼玉方面の国道4号線はそんな奴らばかりで1割くらいはマトモなドライバーもいる。
先週は何かとバタバタしていたような気がしていたのだが、しっかりと端材06は進めているし、100冊目も進めているし、タモロックも失敗はしているが着手はしていた。
創作活動なんて数週間もやっていない感覚だったがガッツリやっとるやん!みたいな。
記憶が曖昧というか、遥か彼方の出来事のように思えてしまうんだよね。
それと本来やらなければいけない仕事もしっかり進めることができており、ずっと停滞していたデータ作成部分が大幅とはいえないが若干進んでいた。
なので、先週はメタメタな気がしていたけど、しっかり行動できていたらしい。
それが実感として身に残っていないのは、やや問題ではあるが、それはきっと慶応義塾大学病院のペースに合わせられなくて、自分の何かが壊れたが故に自分の中の時間軸と感覚が壊れたのではないだろうか?と思っている。
人間が生きていくにあたり、正確な時刻を刻む理由もないし必要もないし、時間に追われるような生活をする必要もないし、明るくなれば目覚めて仕事へ行き、暗くなれば自宅へ帰って食事をする。
それでいいんじゃないかな?
1分電車が遅れたから遅延を詫びるアナウンスが流れる。
私のグランドセイコーなんて常に3分くらい針が遅れているし、1分電車が遅れて目くじらたてて怒る奴がいたら、電車が遅れるよりも、そいつの精神状態の方がヤバイだろう。
1分の損失で数億円の商談が破談になるとか、そういう奴は電車なんて乗らないしな。
なので、ずっと慶応義塾大学病院の時間のルーズさや、連携の無さ、作業に無駄があり過ぎて非効率にも程があるとツッコミ入れまくる、まさに無駄のオンパレード、令和の時代にこんな無駄な業務をしている場所があったのか!と思うくらいの無駄。
検査を受けて回るたびに増える紙の資料、都度、同じような問診票を書かされ、それ1回書けばよくね?みたいな、紙と時間と労力の無駄。
しかし、だから何だよ?と。
それら全て無駄で効率悪いと思っているのは、あくまで私だけであり、周りはそれが当たり前だと思っているから誰一人として愚痴る奴はいない。
周りを見ると私だけが無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ムダムダムダムダムダムダムダムダおだむどーと吠えていたわけだ。
と、いう事は世間一般的な常識人からすると、ズレているのは私の方であり、私が常識から外れた言動をしているという事になり、時間なんてどうでもいいじゃん!というのが世間一般的な思考のようだという事を学ぶことができた。
いつの間にか、かなり時間に正確になり過ぎてしまい、約束の5分前に会社に入っておこう!とかいう時代は終わっていて、着いたら会社に入るけど何時になるかわからねぇよ?くらいが丁度いいのかもしれないな。
相手側も、居るか居ないかわからないけど、とりあえず来なよ。みたいな。
お互いタイミングが合えば商談しましょうか、というのが人間らしくて良い。

手帳整理と2日前のブログ執筆と私宛への電話対応5件分くらいこなしていたら午前中が終わってしまった。
午後からは、手術の立ち会いで慶応義塾大学病院へ移動した。
当たり前だけどスゲーーーー待たされるというのは想定済みなので、何をするかといえば、まだ書けていない先日分のブログ執筆と、kindleで読書と、浅中杉太郎の小説の続きを書こうと思い、持ち物はipad miniのみ。
シンプルイズベスト!
これ1台でブログ執筆とkindle読書と音楽制作もできる。

病院までは電車で移動をして、移動中に旧作の方の浅中杉太郎のシナリオを考案した。
浅中杉太郎のおかえりというタイトルは最初から決まっていて、収録する内容は、
ペラペラ様という怪談編
タイトル決まってないけどバンド殺人事件編
それと望月の休日
の3タイトル。
去年の秋くらいにペラペラ様の本文を3万文字くらいまで執筆したんだけど、そこから急に熱が冷めてしまい執筆は途中になっている。
シナリオボードも大半できているので、これは思い出せば続きを書くことができるだろう。
それとバンド編はシナリオボードにまで落とし込んではいないが、ストーリーやら犯人、トリックやらストーリー進行は大まかにできているので、ストーリーボードに乗せれば執筆できそう。
望月の休日も、おおまかな流れというか、こんな話しにしようというのは以前から決めているが、詳細に関しては全く決めておらず。
で、いつも通りのパラパラ様を6万文字、バンド殺人編も6万文字、休日編を3万文字で計15万文字完成という、いつものパターン。
この状況で一番やりやすいのは、望月の休日編のシナリオを考えてシナリオボードに落とし込む作業が一番やりやすそうだし、先に休日編から手掛けてしまうのもありだな、と。
なので、望月の休日編の大まかなストーリーの流れをメモしながら移動することができた。
一時はストップして、このまま書くことは無いのかな?と思っていた浅中杉太郎シリーズだが、来年から執筆する新シリーズを皮切りに旧作も復活させるという粋な計らい。
久しぶりに浅中杉太郎をマジで書きたいと思ったね。
で、前にも書いたけど旧作は全5冊で完結予定になっており、来年から執筆する新シリーズの浅中杉太郎は10作品で完結予定としている。
旧と新では人物配置が若干異なり、新の方が旧を基にパラレルワールド的な感じで、その点、コミックのコンパイラからのアセンブラみたいな、そんな流れ。
新シリーズの方はイメージアルバムCDも出すし、力は入れていく。

約束の時間の30分前には受付を済ませて(いくら相手が時間を守らないといえど、こちらは時間を守って相手よりも先に待つようにしているから行動は常に早い)お約束で30分以上待たされる。
当然、想定済みである。
先日のブログを執筆しながら待つも、手術が始まる前に本人に会わせるくらいの配慮ができる看護師は皆無なのに絶望し、入院病棟には勝手に入れないのでインターフォンで手術前に会わせろ!と要望。
少々お待ちくださいという定例の返事。
この少々お待ちくださいは、余裕で1時間以上かかる時もあり、インターフォンで話しをした看護師は、業務に追われて精神的余裕がゼロだからインターフォンを置いた瞬間に待たせているのを忘れて業務に行ってしまうのでは?と思うくらい看護師に余裕がない。
うーん、不安になるから、仮に自分が切羽詰まって忙しくても、忙しそうな素振りをしてはいけないと、改めて思ったね。
リアルな私は、常に暇と言っているくらいだから、いいんだけどね。
って、実際に暇だろ!

待つこと15分くらいで看護師が現れ、手術前の嫁と20分くらい一緒に居ることができた。
簡単な手術とはいえ、とても不安である。
手術を受ける本人が一番不安だろうけど、それを和らげるように脚やら肩をマッサージしてあげることができ、意外にも優しい一面がありますよというアピールをしてみた(笑)
手術中は待合室で待つわけだけど、先日分のブログの続きを執筆して、電車で考えた旧型の浅中杉太郎の望月の休日編を更に落とし込んでシナリオボードをipad miniに落とし込もうと思っていたのだが、ついkindleで手帳の面白い本が読み放題に出ていて、数冊読み込んでいるうちに手術が終わったというオチ。
手術は1時間くらいですと言われていたので、それじゃあ3時間はかかるな・・・って大丈夫かよ!と不安になったが、実際には1時間30分くらい。
待たされたのも30分くらいなので、冷静に考えてみると慶応義塾大学病院で指定された時間の30分遅れが基準になるのかもしれない。
これを慶応時間と表現してもいいのかもしれないな。
「時間通りに声がかからんのやけど!」と言っている輩には「慶応時間というものを知らんのか?」と言ってやりたいが、本当に30分遅れになるかは保証できず、平気で3時間くらいは待たされるから、その辺りは看護師の気まぐれグルメという事になるのかもしれない。
手術は無事に終わったのは非常にありがたいのだが、手術を終えて痛々しい嫁と面会させられても困るんだよな。
私がいると疲れてしまうだろうから、すぐに帰ったけどな。
明日には落ち着いているだろうと思いながら病院を出たが、何故か夕方になっているという慶応義塾大学病院マジック。
暇だから何時になっても構わないし、なにより嫁の手術やケアをしっかりしてもらえれば何でもいいというのが本音である。

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