2024年04月 ブログ

2024年4月27日 ついにハービー山口氏と会う

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今日は土曜日で会社は休みである。
世間一般的な常識人は今日から10連休だ!と毒電波ニュースのマスゴミが喜々として報道していたが、私の場合は暦通りなので10連休ではないし、そんなに休みいらないし、別に連休が無くてもあってもどっちでもいいやと思っている派なので、本当にどっちでもいい。

朝から、そんなに休みが欲しいなら、ずっと休めばいいのに・・・とか思いながら、いつものルーティンである部屋全体の掃除をこなしながら、浅中杉太郎の次の作品のシナリオを考えてみた。
いくつものマニアックな〇〇編、例えば時計編とか同人誌編とか、そんな感じで括りをつけているんだけど、タモツさんの世にも不思議な物語で怪談を書いたから、怪談編でいこうかなという方向性。
この怪談編は、数年前にザックリとシナリオは考えていて、今回執筆したタモツさんの世にも不思議な物語第4話をさらに詳細化して話を広げた感じにしてもいいなぁという感想。
それと今日、これから恵比寿ガーデンプレイスにある東京都写真美術館へ行こうか行くまいか、これまた直前まで決めることができず(この体質、本当に治したい)悩みながら掃除を終えた。
朝10時にチケット売り場へ行けば、14時開演のハービー山口氏のトークイベントの整理券をゲットできるのである。
その条件として、木村伊兵衛の展示会のチケットを購入しなければいけない。
1200円である。
木村伊兵衛の作品は、本も数冊持っているしエッセイなんかも読んでいるから、今更なんだよなぁと思いながらも、オリジナルプリントも展示してあるという事で珍味になる事は間違いない。
紙の印刷物を見ても、オリジナルプリントを見ても同じなんじゃないか?とか、そういうつまらない事も考えてしまい、仮に10時に到着しても前日の夜から数百人並んでいて、朝に並んだのでは整理券もらえないとかなったら行き損だしなと、これまらつまらない事を考えてしまう。
電車賃は片道220円で行けるけど、無駄になった時は往復で440円。
440円あったら、中古本買えるよなぁ、うーんどうしよう・・・と病的に悩む。
でも、行かないで後悔するよりも行って後悔した方がマシだし、もしかしたらストリートスナップで作品に出合えるかもしれないと思い、先週に譲り受けて1回も使っていないピンホールカメラを持って、行くことにした。
夕方から会社の仕事以上に仕事の関係のあるお客さんと上野の日本酒居酒屋で飲む約束になっており、店も予約済みなので、夜はFitboxing2できねぇだろうなと思い、朝のうちからプレイを済ませておいた。
案の定、日付を跨いで自宅に帰ってきたから正解だったんだけどね。
そして、恵比寿まで電車で移動。
移動中はkindleで写真雑誌を読みながら移動した。
今週のデジタルカメラマガジン(だったかな?)がストリートスナップ特集をしていたから、丁度今日のタイトルと合っていいね!という理由で読んだ。
10時15分前くらいに到着したのだが、既に50人くらい並んでいてビビった。
その直後、私の後ろに80人くらいの行列ができていて、更に焦った。
アブネーとか思ったけど、この世の中(私がいる世界)に写真好きって、こんなに居るものなんだなぁと思ったね。
私の身の回りだと写真好きは・・・2人くらいしかいないから、写真好きな人はSNSの作られた別次元の世界にしか存在しないものだと思っており、まさか現実に写真やらカメラが売れているわけがないと。
なぜなら、みんなスマホで十分だから。

整理券は無事、ゲットすることができ東京都写真美術館に来るのも4年ぶりくらいじゃないかな?
まだ中国の武漢市発のコロナウィルスが世間を騒がせる前に来たのが最後だったはず。
2019年の島田忠氏の野生の瞬間を観に行ったのが最後と記憶している。
本人と会って色々と話を聞いたけど、まったく興味のない人だったから質問特にねぇなぁという印象が強く残っているね。
それなら行くなよ!って話しだよな。
久しぶりに訪れて、懐かしいなぁとか思ってしまったので3展示会のチケットを全部購入しておいた。
本来であれば、ハービー山口氏の話を聞きに来ただけなので木村伊兵衛のチケットだけ購入しておけばいいのだが、時間もあるし久しぶりにきたし、何か得られるものがあるかもと思ったんだよね。
でもね、結果からして全部購入しておいてよかった。
2300円くらいかかったけど、それ以上の価値は私にとってはあった。
こればかりは人によるよな。
細かく書くと大変な行数になってしまうからザックリ書くけど、時間旅行は現代よりも過去の方がデザイン的にいいじゃねぇかな?と思う作品が多かったな。
昭和展とか観に行っているから免疫はできていたけど、それでも100年前の作品ともなると、「へぇー」と思うところが多々あったね。
でも100年という時間では現代と何も変わっていない感想ももって、現代のレンズで撮影しても同じような写りをするし、オールドレンズとか商売したい人は古いレンズに価値をもたせて金儲けしているみたいだけど、現代のレンズを使おうとも100年前のレンズを使おうとも、性能は大差ないなかなという印象を持ったけど、それは私がLeica使いだからかもしれないな。
家電一眼レフカメラを使っていたら、高解像度の虜になっていて、昔の写真は画が汚ねぇなとか思っていたかもしれないと思うと恐怖で身震いするね。
私が所持している古いレンズでLeitzの1938年製のモノを所持しているから、100年前に撮られた写真と同じ画質で撮影できてしまうから、そこまでの感銘を受けないのかもしれない。
記憶は、篠山紀信氏の「家」シリーズを見て、今の私に足りないものを気付かせてもらえた。
メッセージ性はよくわからなかったけど、ひとつのタイトルに沿った作品作りというのは、完全に忘れていた事であり、これはピンホール写真で作品を制作していく上で、必要な事だなと。
これは以前からも気が付いていて、今日、改めてその重要性を目の当たりにしたのだが、単なる風景写真でも、その写真にストーリーがあることで全く別の視点というか、思考で写真を見ることができる。
単なる草むらで、こんなのを作品にした事に意味ある?とか思ったんだけど、戦時中に強行突破を心みた、いわゆる突撃して犬死していった兵士の通り道的な事が書いてあり、その時点で単なる草むらの道ではなくなり、灌漑深い作品として再び写真に目を向けることになった。
これは、文章に書いていなければ全くわからない事であり、私の作品にもストーリーが必要だと改めて思ったね。
最初にリリースしていた作品には、きちんとタイトルもつけられていたし、シャッターを切った時の心境や状況も文章にして5,60作品くらいを電子書籍に掲載していたんだけど、その時あたりの事を思い出すことができた。
そして、この時点で数百点の作品をじっくり見て、考えていくうちにストリートスナップの存在意義というか、ストリートスナップを何のために、何を目的で撮影しているのかがわからなくなった。
こんな状態で木村伊兵衛展に入ったものだから(ほとんどの作品を知っているというのもダメだったね)この作品はどうしてシャッターを切ったのだろうか?とか、何を伝えたくてシャッターを切ったのだろうか?というところが考えられなくなってしまい、あぁこの写真なら知っているぞ、確か左手がサッと出た瞬間にシャッターを切ったと本に書いてあったなと、本を読んでいなければまったく意味不明な写真もあるくらい。
いい表情が出てこないから、シャッターを切らないでずっと待っていたら左手が出たから、その瞬間を見逃さなかった的な文章を覚えていたんだけど、今の私には「だから何?」というスナップ写真の醍醐味を忘れてしまったような状態。
オリジナルプリントはマジマジと超、接近して見れたのはよかった。
それとブレッソンを撮影した写真は初見だったのかな?
ブレッソンが自撮りした有名な写真と同じ服装をしているじゃないか!となんだか嬉しくなってしまったのだが、単に精神的に不安定になっていただけかもしれない。
完全に写真に対して洞察力を失っていた状態かな。
で、飯も食わずに作品をずっと見て回り、そのまま14時開演のハービー山口氏と小山薫堂氏のトークイベントに参加することができた。
相変わらずのハービー山口トークは非常によくて、小山薫堂のトークも非常に面白くて大満足。
2人のトークを聞いて、ストリートスナップの存在価値というか、何のために私がストリートスナップを撮影していたのかが、少しわかったような気がして写真に対してのテンションが少しあがってきた。
それと同時に、現在のやり方ではいけないという事にも気付き、方向性というか今後の写真ライフについて相当考えさせられたかな。
小山氏のくまモンの使用料を一切とっていないというハービー山口のセリフにも感銘をうけて、夕方に飲んだ人とも会話になっていたんだけど、今の人は金を自分の懐に入れることしか考えていない!という会話を振られ、自分の国や地域の事なんて全く考えていないバカしかいねぇ!と吠えていたのだが、まったくその通りな事であり、私も胸を痛めるくらいの攻撃力ある発言だなと思っていたんだけど、小山薫堂氏は地域貢献、地元熊本が有名になって商品が売れるためなら、くまモンを無料で使ってくれという、まさにこれ。
棺桶の中にまで現金をギッチリ詰め込んであの世へ行こうとしている政治家ではなくて、金なんかではなくて地元が潤って良い方向へ行く事を優先した思考。
もうね泣くかと思ったよ。
ジジイになると涙腺が弱くなるんだよね。
涙は出なかったど(枯れているのかもしれない)感動して、この思考は必須だし、この考えで行動すれば今後の人生大きく変わるなと、自分の人生が大きく変わる予感がした。
これだけでも総合計約4000円かけた価値以上の価値があり、損得勘定はよくないんだけど、来て本当によかったと思ったね。
クソみたいなタモツさんの世にも不思議な物語を書いている場合じゃねぇっすよ!
ハービー山口氏の話しも、今現在知りえている以上の話しを聞くことができ、やっぱりね「人」というキーワードになるんだよね。
昼間はトロトロ走って夜になるといち早く家に帰ってゴロゴロしたいがためだけに煽ってきやがって、背中を蹴飛ばして背骨をへし折ってやりてぇどころか、木刀が折れるまで頭と顔面を殴打してぇとか、そんな思考じゃ話にならないという事も考えさせられたね。
いや、それさ、木梨憲武自伝本でも学ばなかったか?
それと千葉県で受けた人の温かみも私の心を変えたのでは?
と、何回も「人」とのかかわりの重要性に気付きながらも、国道4号線の異様な状態(春日部ナンバーのワンボックスファミリーカーな)に地獄に引きずり降ろされてしまい、つい残虐な一面しか出てこないという、まさに生き地獄。
もうね、トークをしている2人からは微塵もそんな邪悪な精神は垣間見れなかったね。
素晴らしい。
これが人間かと。
ビートたけしと大山のぶ代の素晴らしい話しも出てきて、それにも感銘を受け、早速今日の帰りにトイレで汚れていた場所を奇麗にしてみた。
なんのこっちゃ?と思うわな。
これ、誰も読んでいないブログだから書いても問題はないか。
大山のぶ代は、自宅前の掃除を毎日行っていて、両隣の家の前に少し目立つゴミがあったら、こっそり片付けていたそうだ。
で、その事は両隣の家の人には絶対に言わいそうだ。
何故かというと、徳を積むため(宗教だな)という事で、いい事をすればいい事がめぐってくるという例のあれね。
その精神でやっていたみたいだけど、そこは私とやや相反する意見ではあるが、そこは人各々の思考があるからいいとしよう。
でも、自分のエリアとは関係ない場所も奇麗にする、フォローするという精神はとても大切。
ビートたけしは、パーキングのトイレを使う軍団員とかに、トイレが汚れていたら奇麗にしてこい!と毎回言っているそうだ。
雑巾やモップが無ければ手で奇麗にしてこいくらいの勢いで言っているらしく、これにも感銘を受けたね。
ここ最近、次使う人の事を考えて手洗い場所だけは奇麗にしていたんだけど(それにしては、春日部ナンバーの煽ってくるやつの目玉にアイスピックやらハサミやら万年筆を突っ込んでやりたいとか考えてしまうんだけどな、矛盾しているよなぁ)さらに範囲を広げた部分まで視野に入れるといいなと思った。
思って、早速行動に移せたのは私らしくて良かったね。
これも習慣化させようと心に誓ったよ。
結局は「人」というキーワードに当たることになり、自分勝手な都合で煽られたからと言って、相手を血まみれにしてぶっ倒したところで何の意味もないし、憎しみを生んで戦争になって、相手の親族を全員棺桶にブチ込む事になったり、私の家族が危険にさらされるかもしれないし、私は強いですよ?思い知りましたか?と愚かな春日部民をブチころしたところで争いしか産まない愚かな行為という事を、もう1回心に念じて、写真を通して全てをやり直したいなという心境になった。
こういう事、忘れて再び「てめぇの顔面をフロントガラスに叩き続けて、頭が先に割れるかフロントガラスが先に割れるか試してやるぜぇ」とか思わないで、私も別意味で「自分の事」を考えた行動をすべきなんだよねぇ。
こうやって考えるの何回目だよ?って話。
夜に日本酒を飲みまくって語りあった友達(会社のお客さん)も、ありがたい事に金額関係なく毎回奢ってくれるし、私もせめてもと思い、お土産を毎回用意するし、右寄りの政治の話しが多くて困る面もあるけど思った事を言い合える仲の付き合いをさせてもらっている事は非常にありがたい事だし、こういう関係は大切にしていくべきだし。
と、多くの事を考えさせられた1日で、本当に今日は充実した日を過ごせたな。

私をリアルに知る人であれば、私がこんな事を考えているなんて口には出さないから絶対に知りえないだろうけど、私の心の中はこんな感じで常に揺れ動いて、女神転生で例えるなら、CHAOSとLOWを行ったり来たりしているような感じで心が安定しておらず疲弊しているのだろうな。

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